〜奇襲〜
 
 
                「ふわぁ~ああううぅ……ねむい」 
              
 
              
                 眠りについてから二時間も経たないうちに叩き起こされた。 
              
 
              
                 外はほんのりと明るさを取り戻しており、空の色は赤紫色に染まっている。 
              
 
              
                「コカトリスは夜行性でしょ? もういないんじゃ……」 
              
 
              
                 この情報も例の冒険家由来なのでどこまで本当かはわからなかったが、昨夜の被害を考えれば正しいのだろう。 
              
 
              
                「だからさ」 
              
 
              
                 カジキは弓と矢を背負い、両手に大量の槍を抱えた。槍は昨夜の内に紐で束ねておいたのだ。 
              
 
              
                「奴は浮けても飛べない。必ず足跡が残ってるはずだぜ。それを見つけて奇襲をかけるのさ」 
              
 
              
                 如何にもカリュードらしい戦法だった。 
              
 
              
                 病人たちを村長に任せ、ホロウたちは肌寒い早朝の空気の中、コカトリスを追った。その際に村の一輪車も借りて行く。武器を運ぶためだ。 
              
 
              
                「うわっ、これひょっとして全部トウモロコシ!?」 
              
 
              
                 一歩畑道に入ると、そこは見渡す限りのトウモロコシ畑だった。 
              
 
              
                 ここだけで昨日通ったエゾキアの人口分の食事がまかなえてしまいそうな量だ。 
              
 
              
                 昨日も暗いながらにかなり大きな畑だなとは思っていたが、まさかここまでとは予想だにしなかった。 
              
 
              
                 朝露に濡れたトウモロコシの葉から、宝石のような雫がポツポツと滴っていた。 
              
 
              
                 それを見た瞬間――ぐーぎゅるぎゅる、とホロウのお腹が鳴き声をあげた。 
              
 
              
                「ね、ねえ、ちょっとだけ……」 
              
 
              
                「ひとんちの食い物だぜ? そういうの泥棒ってやつじゃないの?」 
              
 
              
                「わ、わかってるわよ。ちょっと言ってみただけよ……」 
              
 
              
                 それに、いくらなんでもトウモロコシを生では食べられない。 
              
 
              
                 代わりに何かなかったものかと袋の中をガサゴソと探し……、 
              
 
              
                「あ」 
              
 
              
                 あった。 
              
 
              
                 それは昨日市場で買ったシャリンという果実だ。 
              
 
              
                 草原色の瑞々しい皮がホロウののどを鳴らした。 
              
 
              
                 近くの葉っぱに溜まっていた雫をすくいあげ、シャリンの表面を軽く洗う。 
              
 
              
                「これでよし」 
              
 
              
                 そしてかぶりつく。 
              
 
              
                 皮はパリッとして、中の果肉は口の中でジュワワワッととろけた。 
              
 
              
                 美味しい。 
              
 
              
                「なあ、遅れるなよ……」 
              
 
              
                 カジキが立ち止まり、不服そうなジト目で見ていた。 
              
 
              
                「食べる?」 
              
 
              
                 しかしホロウはそんな視線をものともせずに、袋から二個目を取り出した。 
              
 
              
                「いらないよ。中途半端に食べるとよけい腹が減るからさ」 
              
 
              
                「……それもそうね」 
              
 
              
                 ならばガッツリ食べよう。 
              
 
              
                 開き直り、手元にあったシャリンをすべて平らげる。もともと、一個が掌程度しかないフルーツなので、全部食べるくらいで腹持ちはちょうどよかった。 
              
 
              
                「……うっ、気持ち悪い」 
              
 
              
                 が、すべて食べてしまってから思い出す。 
              
 
              
                 そういえば昨日の商人が言っていた。 
              
 
              
                 食べ過ぎると気分が悪くなる、と。 
              
 
              
                 後悔してもすでに遅く、ただでさえ寝不足で気分が優れないところに追い打ちをかけられた状態に陥りながら、ホロウは前へと進んだ。 
              
 
              
                「見ろよ」 
              
 
              
                 カジキがトウモロコシ畑の中を指差しながら言った。 
              
 
              
                 そこには不自然に踏み倒された作物……そして食べ散らかされたトウモロコシの残骸がある。 
              
 
              
                 どうみてもコカトリスの残したものだ。 
              
 
              
                 踏み荒らされた跡は、そのまま一直線に続いているようだった。 
              
 
              
                「これを追って行くってわけね。でも見つかって返り討ちに遭うんじゃない?」 
              
 
              
                 視点は向こうの方が高いのだから、先に発見されるのは自分たちの方かもしれない。 
              
 
              
                「だから朝なんだよ。夜行性の動物なら、朝はグッスリのはずさ」 
              
 
              
                 寝ぼけているところを襲撃するというのか。 
              
 
              
                 ホロウはトウモロコシ畑の中に分け入ると、めちゃめちゃに踏み荒らされて獣道のようになった場所を進んで行った。 
              
 
              
                「ほんとにトウモロコシ食べてるんだ。あいつ……」 
              
 
              
                 耕された土の上には、黄金の粒が飛散していた。嘴だからか、上手く食べられないらしい。 
              
 
              
                「そりゃこれだけ食べ物があるんじゃ、わざわざ獲物を探して捕まえるなんて馬鹿馬鹿しくもなるわね…………あ、そうか」 
              
 
              
                 自分で言っていて、はたと気がつく。 
              
 
              
                 前を行くカジキが左目だけでニヤリと笑んだ。 
              
 
              
                「ここの収穫量は尋常じゃない。それにまだ大きくするってあのオッサンが言ってただろ? 人が生活圏を拡大すれば、必ず他の生き物とかち合う。今はまだコカトリスだけみたいだけど、これからここが町になって、森を伐採するようになれば、住処を追われた生き物がここの収穫を荒らすようになる。自業自得って奴さ」 
              
 
              
                 カジキは皮肉を言って笑っていたが、ホロウには耳の痛い話だった。 
              
 
              
                 あたしだって、食料の確保を仕事にしていたんだ。 
              
 
              
                 それは農家の人々と差のないことのように思える。 
              
 
              
                 より豊かな海、より大きな魚を求めて漁の範囲を広げていた。あるいは、その過程で住処を追われた魚たちもいたのではないだろうか。 
              
 
              
                「やっぱり、人間の方が悪いのかな」 
              
 
              
                 そのようにも思えてしまう。 
              
 
              
                「あのリヴァイアサンの親子だって、けっきょくは人間のせいで……」 
              
 
              
                「いや、そいつは違うね」 
              
 
              
                 きっぱりと、あまりにもはっきりとカジキは断言した。 
              
 
              
                「人間ってのは支配領域を広げないと生存できない生き物だ。人が増えれば食料が多くいる。たくさんの食料を生産するために土地を開拓しなけりゃならないってのはどうしようもない。必然なんだ。コカトリスは襲うべくしてここを襲った。あいつだって生きるのに必死なんだ。楽して食えるなら、そっちの方を選ぶだろ」 
              
 
              
                「…………」 
              
 
              
                「全ての生き物は犠牲なしに繁栄を得られない。人間もコカトリスも同じだ。リヴァイアサンもな。生きるために殺す。他者を犠牲にして、その命を取り込むんだ。これが食物連鎖さ」 
              
 
              
                「あたしたちはコカトリスを犠牲にしようとしているっていうの?」 
              
 
              
                「そうさ。綺麗な言葉で言いつくろうのは簡単だ。良心をごまかすのも。だけどこれが現実だ。俺たちは自分の領土を拡大するために、先に住んでいた生き物を殺すんだ。これからな。今回のトラブルの本質はそれさ」 
              
 
              
                 そう言って、カジキは再び歩き始めた。 
              
 
              
                 ホロウもまた、重くなった足を引きずるように歩む。 
              
 
              
                「あんたと話してると気が滅入るわ。でも……正しいことを言ってるんだってのはわかる」 
              
 
              
                「正しいことなんてないさ。あるのはどちらを選ぶのかっていう選択肢だけ。俺は金のためにこの仕事を引き受けた。だからコカトリスを殺す。自分の利益のためにあいつを殺すんだ。村人の命なんてただの達成目標さ。お前は? 俺の助手だからってだけであいつの命を奪うのか?」 
              
 
              
                 カジキの氷柱のように閃く眼差しがホロウを射抜いた。 
              
 
              
                「……あたしは人間だから、人間の味方をするわ。ウサギだったらウサギの味方をするし、コカトリスだったらコカトリスの味方をする。あたしが村の人を助けたいのは、同じ人間の命を人間じゃない生き物に優先させられないからよ」 
              
 
              
                 自分で言っていて、あまりにも利己的な言葉に吐きそうになる。 
              
 
              
                 でも、これが真実だ。 
              
 
              
                 オブラートを取り払った先にある現実。 
              
 
              
                 彼の言う通り、どれだけ聞こえの良い言葉で自分の行いを正当化しようと、必死に生きている者を殺すという事実に変わりはない。コカトリスの命を奪い、その命をもって毒に侵された人々を救おうというのだから。 
              
 
              
                 カジキはその返答を肯定も否定もしなかった。 
              
 
              
                 ただいつもどおり何を思っているのか見当のつかない不敵な笑みを口の端に浮かべ、視界を埋め尽くす一面の緑を射抜くように見つめている。 
              
 
              
                 彼の指先がスイッと前方に伸び、静かにそれを指し示した。 
              
 
              
                 一面の常磐色(ときわいろ)の中に、鮮やかな赤色が交じっていることに気がつく。 
              
 
              
                 コカトリスの鶏冠だ。 
              
 
              
                 カジキは何も語らず、黙したまま一輪車を地面に着ける。 
              
 
              
                 自分が何をすべきかはわかっていた。 
              
 
              
                 ホロウは車の中にある槍の縄を解き、その一本一本を音の立たないように地面へと突き立てていく。もともと地面は耕されていたので、さほど力をいれなくても槍は土中に潜り込んでいった。 
              
 
              
                 一方でカジキは一本の槍を両手で持ち、忍び足でトウモロコシ畑の合間を抜けて行った。 
              
 
              
                 徐々に、太い茎と茎の合間で蠢く灰色の巨体へと距離を詰める。 
              
 
              
                 目が慣れたためか、今やホロウの目にもはっきりとコカトリスの存在が見て取れた。カジキの予想した通り熟睡しているようだ。 
              
 
              
                 眠りに入っているコカトリスは両膝を折り、長い首を体の羽毛に埋めるようにして寝息を立てていた。それでもなお、その巨体は二メートル近く上にあるのだから驚いてしまう。 
              
 
              
                 コカトリスを前にして、木の槍が意思を持っているかのようになめらかに動く。 
              
 
              
                 そして、一呼吸の後、ついにカジキはその切っ先をコカトリスの脇腹へと突き立てたのだった。 
              
 
              
                「グギャアアアアアアアアアアアアアッ!!!」 
              
 
              
                 ビリビリとした静電気にも似た緊張が一瞬で場を塗り替えていった。 
              
 
              
                 ホロウは息をのんで後ろに下がり、反対にカジキは突き込んだ槍を更に押し込む……のだが、カジキの人間離れした怪力をもってしても、コカトリスの筋肉を貫通させるのは難しかったようだ。 
              
 
              
                 コカトリスがやたらめったらに暴れ回り、作物をまき散らす。 
              
 
              
                 カジキはいったん体勢を立て直しに来ると、次の一本を土から引き抜いた。 
              
 
              
                「ちくしょう! まるで鋼鉄だぜ。まるっきり歯が立たない!」 
              
 
              
                「ちょっ、なに弱気になってんのよ! じゃあどうすんの!?」 
              
 
              
                「さあてね!」 
              
 
              
                 しかしカジキの顔つきは諦めた人間の見せるものではなかった。 
              
 
              
                 むしろこの不利な状況を楽しんでいるかのようにも見える。 
              
 
              
                「どけ!」 
              
 
              
                 ホロウはカジキに突き飛ばされた。と、その真横をコカトリスが土石流のような勢いで駆け抜けて行った。 
              
 
              
                 尻餅をついたホロウは、ひやりとした汗が背筋を伝っていくのを感じる。 
              
 
              
                 もう少しで踏みつぶされていた。 
              
 
              
                 コカトリスが何百キロあるのかは知らなかったが、確実に死んでいただろう。 
              
 
              
                「そらよッ!!」 
              
 
              
                 二本目、そして三本目の槍を突き入れる。 
              
 
              
                 が、やはり槍は内蔵に達する前に止まってしまう。 
              
 
              
                「カジキッ! もうそれじゃ無理よ!!」 
              
 
              
                 どう考えたって勝ち目がない。 
              
 
              
                 コカトリスは柔軟性が高く、強靭な羽毛で守られている。そのため、剣のような斬る攻撃にはめっぽう強く、戦術として槍を用いるのはある意味では成功だった。だが、それも剣に比べればマシといった程度でしかない。どれだけの匠が仕上げた究極の槍であっても、人の力でコカトリスの筋肉を貫くのは不可能だ。 
              
 
              
                 あるいは、その究極の槍を今このときカジキが持っていたならば、コカトリスを倒すこともできただろう。彼の怪力ならば、その槍で鋼鉄の如き筋肉を貫くことも可能だった。だが、彼が手にしているのは急ごしらえで仕上げたチャチな木の槍だ。これではさすがの彼もどうしようもなかった。 
              
 
              
                 ホロウが見てもカジキはよくやっていた。 
              
 
              
                 これが彼ではなく、普通の人間ならとっくにコカトリスについばまれて殺されていただろう。それほどまでに怪鳥の動きは早く、ほとんど目で捉えることはできなかった。 
              
 
              
                 カジキはホロウの訴えを完全に無視して次から次へと槍を打ち込んで行く。 
              
 
              
                 だが、そのことごとくがコカトリスの分厚い筋繊維の前になす術もなくはばまれ、時には完全にへし折られた。 
              
 
              
                 ところが、最後に突き込んだ一本だけが異様に深くめり込んで行った。 
              
 
              
                「グゲゲゲゲゲッ!!?」 
              
 
              
                 と、コカトリスの反応も変化する。 
              
 
              
                「ここだな……」 
              
 
              
                 カジキの目つきが鋭さを増していた。 
              
 
              
                 コカトリスに確かな痛手を追わせたその一撃は、どうやら尾と胴体の中間辺りに突き刺さっているようだ。 
              
 
              
                (そうか!) 
              
 
              
                 と、ホロウは理解した。 
              
 
              
                 カジキは筋肉の弱い部分を探していたのだ。 
              
 
              
                 ホロウは海の生き物をさばく経験から、生き物ごとに身の固い部分と反対に柔らかな部分があることを知っていた。包丁の入れ方のコツはさばく対象ごとに異なるという事実を。 
              
 
              
                 このコカトリスという生き物は一見して筋肉の塊だった。だが、何も全身が強固な鎧で覆われているわけではない。筋肉というものは、その生物が必要とする部分に集中するものだ。鳥類の場合、翼を動かすために胸の筋肉が特に発達している。コカトリスの場合、この筋肉が主要な臓器を攻撃から守っていたのである。 
              
 
              
                 逆に、臀部付近の筋肉は尾を動かすために強力ではあるものの、筋肉自体の数が少ない。カジキはそうした筋繊維の薄い部分を狙って、致命的な一撃を見舞ったのである。 
              
 
              
                 錯乱したコカトリスが翼をはためかせて飛翔する。 
              
 
              
                 猛烈な風圧がホロウの顔面に襲いかかってきた。 
              
 
              
                「逃がさねーよ!!」 
              
 
              
                 カジキはここぞとばかりに弓矢を構えた。 
              
 
              
                 即座に打ち込めるショート・ボウだ。 
              
 
              
                 威力は低いが連射がきくため、カジキは何発もの矢を空に舞い上がったコカトリス目がけて次々と放つ。 
              
 
              
                「グギャア! グギャアッ!!」 
              
 
              
                 悲鳴を上げながらコカトリスは体勢を崩し、地面に落下した。 
              
 
              
                 カジキが最後の槍を引き抜き、追い打ちをかける。 
              
 
              
                 トドメをさすつもりなのだ。 
              
 
              
                 ホロウはカジキの発したより一層の気迫から、そのことを感じ取った。 
              
 
              
                 だが、悪かったのはコカトリスもまたそれを気取っていたことである。 
              
 
              
                 野生の勘というやつなのか、コカトリスは向かってくるカジキを迎え撃つような形で紫色の毒の息を吐き出した。 
              
 
              
                 もっとも、カジキにそんな攻撃は当たらない。毒の息の速度など、コカトリスのついばみよりも遥かに遅かったからだ。 
              
 
              
                 だから彼は余裕のあるうごきで毒をかわした。 
              
 
              
                 それがコカトリスの狙いだったとも知らずに。 
              
 
              
                「!?」 
              
 
              
                 カジキが目を見開いて息をのむ。 
              
 
              
                 彼がかわした先に、コカトリスの翼があった。 
              
 
              
                 コカトリスが巨大な翼を鈍器のようにして薙いだのだ。 
              
 
              
                「カジキ!?」 
              
 
              
                 ホロウがハッとして悲鳴をあげる。 
              
 
              
                 翼で打たれたカジキの体は、宙を大きく舞って何本もの作物の茎をなぎ倒して行った。 
              
 
              
                 並の人間ならば即死だろう。 
              
 
              
                 それでもカジキは生きていた。体を痛めている様子ではあったが、何とか立ち上がろうとしている。 
              
 
              
                 そこに、今度はコカトリスが追い討ちをかけてきた。 
              
 
              
                 今までやられた分の仕返しとばかりに。 
              
 
              
                「うあああああああっ!!!」 
              
 
              
                 誰かの叫び声が聞こえた。 
              
 
              
                 ホロウは最初、その声の持ち主が誰なのかがわからなかった。 
              
 
              
                 カジキか? 
              
 
              
                 それともコカトリスの鳴き声が人の声のように聞こえただけだろうか。 
              
 
              
                 いや、違う。 
              
 
              
                 どちらも違かった。 
              
 
              
                 それはホロウ自身の上げた雄叫びだった。 
              
 
              
                 気づいたとき、ホロウは槍の柄を手に取り、押し込んでいた。 
              
 
              
                 コカトリスの臀部に突き刺さっていた槍を、より深くへとねじ込んだのだ。 
              
 
              
                「!!!!!?????」 
              
 
              
                 コカトリスがのどの奥から未だかつてない叫声を発した。 
              
 
              
                 あまりにも大きく、そして高い声に鼓膜が破れてしまいそうだ。 
              
 
              
                 ホロウは反射的に手を放し、そして耳を塞いだ。 
              
 
              
                 それがいけなかった。 
              
 
              
                 コカトリスの顔が目の前にあった。 
              
 
              
                 黒い嘴がパックリと上下に割れ、その中から毒の霧が噴き出した。 
              
 
              
                 避けることなどできるはずがない。ホロウはカジキとは違うのだ。 
              
 
              
                 毒をまともに受けたホロウはその場に崩れ落ちた。 
              
 
              
                 心臓が早鐘のように鳴り始める。 
              
 
              
                 思考がぐちゃぐちゃになってしまう。 
              
 
              
                 あれほど注意していたのに、毒を浮けてしまった。 
              
 
              
                 怖い。 
              
 
              
                 あたしもああなってしまうのか。 
              
 
              
                 体が石のように固まり、体中から出血するのか。 
              
 
              
                 恐ろしい。 
              
 
              
                 嫌だ。 
              
 
              
                 怖いこわいコワイ。 
              
 
              
                 ホロウは今にも変色しだすだろう自身の腕を見下ろしていた。 
              
 
              
                 グギャッ、とカエルの潰れたような音が鳴った。 
              
 
              
                 それはコカトリスの悲鳴だった。 
              
 
              
                 臀部に刺さっていた木の槍が背中から突き出し、更には長い首を串刺しにしていた。カジキが槍の柄を真下から蹴り上げたのだ。 
              
 
              
                 コカトリスは翼をはためかせてその場から逃げ出そうとする。 
              
 
              
                 しかし、上手く飛べない。 
              
 
              
                 何度も何度も翼と足をばたつかせ……その度にゴボゴボと気泡の交じった鮮血をのど元から噴き出している。 
              
 
              
                 ジョウロから水をまくかのように、真っ赤な血が無数の花を咲かせていた。 
              
 
              
                 暴れ、もがく。 
              
 
              
                 天に助けを求めるように。 
              
 
              
                 やがてその動きは緩慢になり、地に倒れ伏す。 
              
 
              
                 その灰色の巨体が起き上がることは……二度となかった。 
              
 
              
                「おい」 
              
 
              
                 カジキが服についた土を払い落としながらホロウを見やった。 
              
 
              
                「あ、あたし……っ」 
              
 
              
                 毒を浴びてしまった。 
              
 
              
                 そう言いかけて……不自然なことに気づく。 
              
 
              
                 いや、逆だ。どこも不自然じゃなかった。 
              
 
              
                 ホロウの体は、未だになんの異常もきたしていなかった。 
              
 
              
                「……あ、あれ?」 
              
 
              
                「衝動買いも、たまには良いもんだな」 
              
 
              
                 カジキは呆けているホロウの前で、口の端をつり上げて笑うのだった。 
              
 
              

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