〜真夜中に踊る〜
星々が荒々しいシルエットとなり浮かび上がる森の頭上で瞬く。
急に冷え込んできた外気に身を震わせたホロウが見つけたのは、遠方にうすらぼんやりと光る民家の明かりだった。
家の数は少なかったが、家同士の間隔がかなり開いており、村はその総人口以上に大きく見える。
「それに、まだ住民が増える予定だ。ここの土地は豊かだから、作物が良く育つ。移住希望者がいるのだ」
村が見えて来たことで心に余裕が生まれたのか、村長ははるかに饒舌になり、得意げに語り聞かせた。
「いずれは町になるだろう。近隣の森も開拓せねばならん」
森の開拓には多くの人手が必要だ。
木々を伐採するには木こりが必要だったし、深くに踏み込んで危険な猛獣が出れば、腕の立つ戦士の護衛がなくてはままならない。
やがて訪れるだろう未来のヴィジョンに男の夢は膨らんでいた。
「楽しそうなところ悪いんだけどさあ」
ボソリ、とカジキが口を開く。
実に
10時間ぶりの声だった。
「いま何時?」
「
……午前
1時だが?」
村長はランプの灯りで懐中時計を見つめながら答えた。
「この村の連中はずいぶんと夜更かしなんだな」
そこまで言われて、ホロウもハッとした。
こんな夜遅くだというのに、村の明かりは全て灯っていた。
胸騒ぎを覚えたのか、村長は手綱を強く鳴らした。
馬がけたたましい泣き声を上げ、大地を蹴飛ばして疾走する。
ホロウは振り落とされそうになり、慌てて荷台の縁にしがみついた。
カジキは
……鼻歌を歌いながら横になっている。
砂埃を巻き上げながら、馬は一件の家の前で急制動をかけた。そのせいでホロウは車の縁に額をぶつけてしまう。ヒリヒリと痛むおでこを抑えながら視線をあげると、ちょうど家の中に駆け込んで行く村長の姿が見えた。
その家には扉がなかった。
いや、なかったのではない。
何か巨大なものが扉ごと壁を突き崩していたのだ。
例えば、岩石が山を転がってきて民家にぶつかれば
……このように巨大な穴があくのかもわからなかった。
「おい、どこだ! どこに行った!?」
ボロボロに荒らされた木造の民家の中から、村長の悲痛な叫び声だけがこだましていた。
「家族
……よね?」
彼が探しているのはおそらく。
「
…………よっと」
家から少し離れた道先で、カジキが何かを拾い上げていた。
「何それ?」
彼が持っていたのは小さなウサギのぬいぐるみだった。
「オッサン!! 探したって無駄さ。他の連中も
……一緒に逃げたんだよ」
彼がそう言ってツイッと視線を向けた先
……民家同士の間をつなぐ道には、巨大な足音が点々と続いている。
これがコカトリスの足跡なのだろうか。
その足跡は縦幅が
1メートル、横幅が
1・
5メートルほどあり、鳥類の足形に似ていた。
「ホロウ、ウサちゃんを頼むぜ」
ホロウはウサギのぬいぐるみをキャッチすると、カジキに続いて足跡を追った。
暗がりの中を、ぼんやりとしたランプの灯火だけを便りに進む。
ホロウはいつ怪物が襲ってくるかと気が気ではなく、村長は彼女に輪をかけて怯えていたが、先頭を行くカジキはどこ吹く風といった態度である。
「わっ
……!?」
キョロキョロと周囲を警戒しながら歩いていると、突然、何か大きなものに蹴つまずいてしまう。危うく転倒しそうになりながらも足下の黒い影に目を落とすと
……それが人であることを知った。
「なんてことだ
……」
村長がその者の名を呼び、地面にしゃがみこむ。
倒れていた男の肌は土気色に変色していた。息はあったが、自力では動けないようだ。
「く、苦しい。助けてくれ
……」
男は顔中の筋肉を引き攣らせながら、咽ぶような声を吐き出した。
「
……どうやら、他の奴らも見つかったようだぜ」
村の端
……畑との境界線上にある柵に向けてカジキがランプを掲げる。
臙脂色(えんじいろ)の灯りが照らし出した道の先に固まっていたのは、ここの村人と思わしき者たちだった。
彼らは皆一様に肌を土の色に変えており、荒い呼吸を繰り返している。
そしてその中には、まだ
10歳にも満たないだろう小さな子供の姿もあったのだ。
――ムシャリ。
柵の向こうで、月明かりに照らされた巨大なシルエットが上下した。
今の今まで、それは背の高い作物の影だとばかり思っていた。
しかし、違う。
それは緩慢な動きで上下し、ムシャリ、ムシャリと音を立てている。
カジキが無言でランプを手渡してくる。
そして音もなく腰に吊るした二本の短剣を引き抜き、逆手に構えてゆっくりと影に近づいて行く。
だが、彼が作物畑の中へ足を踏み入れた瞬間
――巨大な影はビクリと反応した。
次の瞬間、
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアウウウウウウウウウッ!!!」
死人でさえ飛び起きるのではないかという大音声が大気を震わせた。
「クソッ!」
カジキは悪態をついて遥か後方へと宙返りする。
同時に、今しがたカジキの立っていた場所が火薬でも仕込まれていたかのように爆発し、吹き飛んだ。
巨大な嘴が落ちて来たのである。
夜の暗闇を裂きながら、その巨体が灯りの中へと躍り出た。
怪鳥コカトリス。
灰色の羽毛に覆われた巨大な体を持ち、頭の天辺まで含めれば平屋の屋根を超えるほどにデカイ。
漆黒の嘴、血のような鶏冠、金色の目を持つその様は悪魔のようにも見える。
しかしその翼は巨体に割には小さく、一時的に浮き上がることはできても、長時間の飛行には適していなそうだった。
「カジキ!」
「下がってろッ! 後、もっとちゃんと照らせ! 見えないんだよッ!!」
コカトリスの体色は闇と完全に同化しており、灯りの中でもともすれば姿を見失ってしまいそうだった。
この怪物の攻撃方法は大きく四つ存在する。
一つは鋭い嘴を突き立てるもの。
二つめは自重を使って踏み殺すもの。
三つめは翼を鈍器のように振り回すもの。
カジキはここまでの攻撃を紙一重で避けていた。
コカトリスの大地を粉砕するほどの破壊力も目を奪われるものだったが、カジキの動きも尋常ではなかった。
人間の動きのそれではなく、狼か何かのように異常に速い。軽く地面を蹴っただけで十メートル近く移動しているのだ。その動きは時として残像さえ見えていた。
だが、そんなカジキの身体能力を持ってしても、短剣をコカトリスの体に突き立てるのは難しそうだった。足にならば届いたが、コカトリスの足は鋼のように硬く、まったくもって刃を通さない。
それでもどうにかしようとカジキの顔に焦りの色が見え始めた
――まさにその刹那、コカトリスが無防備にも高い頭を地面スレスレまで下げてきた。
これをチャンスだと踏んだカジキが一気に肉薄する。
銀光を閃かせ、短剣を一直線に伸ばす。
だが、
「グゲエエエエッゲッゲッゲッ!!!」
奇妙な鳴き声とともに、コカトリスはのどの奥よりどす黒い霧のようなものを吐き出した。
咄嗟に真横に飛んだカジキは危なくそれを回避し、空中で回転して体勢を立て直し
――た時にはすでに、コカトリスの姿はそこになかった。
「
……え?」
ホロウは目をパチパチをしばたかせ、ランプの灯りでコカトリスの姿を探した。
しかし、もうあの巨体が見つかることはなかった。
「
……逃げられたな」
カジキが短剣を鞘に戻しつつ舌打ちをした。
「逃げられたって
……」
ホロウはコカトリスの毒にやられた村人たちを心配に思い、振り返った。
彼らは苦しげにうめき、地面に倒れ伏せている。
「じゃあ、どうすんのよ
……」
一人を救えるかどうかもわからなかったのに、これだけの犠牲者が出てしまっては絶望的だ。というのも、エゾキアを出る前にガスパがこう言っていたのだ。
『何も倒す必要はない。血清を作るのに必要な血の量
――そうじゃな、カップ一杯分もあれば十分じゃ』
ここに倒れている人の数は
15人。
これだけの人に行き渡す血清を作るのに集めなければならない血となると
……。
「殺すしかないな」
虫の鳴き声が心なしか小さくなったとき、カジキが不気味な声でつぶやいた。