〜モノポーンの企み〜

 

 モノポーンの屋敷は町の外れから続く高台をのぼり、一際高い崖の手前にある灯台を目指す途中にあった。
 太陽はすでに沈みかかっており、町のざわついた声もここまでは届かない。聞こえてくるのは心なしか強くなってきた海風に吹かれる若草の音、それと岩肌に叩き付けられている荒々しい波の音だけだった。
 ホロウは小さな山のようにして立ちはだかるモノポーンの屋敷を前にしていた。
 屋敷は周囲を高い塀で取り囲んでおり、唯一存在する門には革の軽鎧を身に纏った衛兵が門番をやっている。用なき者がおいそれと足を踏み入れることはできなかった。
 また建物自体は最近になって増改築がなされており、三階部分の漆喰は夕焼けに良く映えている。もともとは真っ白い石材の壁が、今では輝かしいばかりの琥珀色に染め上げられていた。
 ホロウはモノポーンには似つかわしくない根城だと思いつつ、気を引き締め直した。これから敵の本拠地に殴り込もうというのだから、余計な思考はすべて拭い去らなければならない。
「おいおい、そっちじゃないって」
 いざ行かんと再び歩を進めようとした矢先、しかしカジキはホロウの肩にポンと手を置き「待った」をかけた。
 肩すかしを食らったホロウの気概が少しだけ萎えてしまう。
「どこへ行くのよ」
 そしてあろうことか、カジキは衛兵の視線から隠れるようにして屋敷の周りを回って行く。
「ああいうのに何言ったって無駄さ。秘密を知りたいなら盗み聞くのが一番ってね」
 まさかとは思ったが、彼は三メートル近い塀を乗り越えて屋敷の中に侵入するつもりらしい。
「無理よ。こんなの登れるわけが……」
 困惑半分、呆れ半分といった心境でホロウはカジキを思いとどまらせようとした。
 ところが、ルアーブレードを地面に置いたカジキはゆっくりと膝を曲げていき……次の瞬間、バネのような勢いで大きく宙へと舞い上がった。彼はホロウの見ている前で五メートル近い高さまで悠々と達すると、そこから少し落ちて危うげなく塀の上に着地したのだった。
「ほら、つかまりな」
 カジキは左目だけでニヤリと笑うと、首に巻いていた不必要に長いマフラーをほどいて下に垂らして来た。
 本当に、いったいこの少年は何者なのだろうか。
 下の市場で見せた腕力も、そして今の脚力も、とても人間のものとは思えないのだが。
 ホロウはそのように彼の正体を訝しみながらも、蜘蛛の糸よろしく垂れて来た深い色のマフラーへと手を伸ばしたのだった。
「……あれ?」
「ん?」
「ん、ううん、なんでもないわ」
 引っ張られて上に登りきった際、カジキの首元に何か違和感を覚えた。
 が、彼はすぐに首元をマフラーで隠してしまったため、それが何なのかは結局確かめることができなかった。
 ホロウたちが這い上がった場所はちょうど建物の真後ろだった。
 目の前には五メートルと離れないところに窓が見える。戸のない窓だが、この辺りの建築では珍しくはなかった。
「それで、どうやってこの中に――」
 忍び込むつもりなのか、と訊こうとした直後だった。
「ちょいと失礼」
 カジキは躊躇することもなくホロウの腰に手を回して抱き寄せると、そのまま塀を蹴って建物の窓へと跳び移ったのだった。
「さあて、あのクルクル眉毛はどこかな?」
 何とも思っていなそうなカジキとは裏腹に、ホロウの心臓はドキドキと強く脈を打っていた。
 いきなり女の子の腰に手を回すなんて失礼だ! ……と怒ってやりたい気持ちもあったが、その激情は一瞬とは言え空を舞った興奮に打ち消されてしまっている。
 ホロウは冷たい石造りの床に立ち、改めて周囲の様子を窺った。
 彼女たちが今しがた入ってきたような戸のない窓は、その性質上、一年を通して雨風が吹き込んでくる。そのため、こういった窓のある部屋は半ばベランダの延長上として使われていた。この部屋もご多分に漏れず、長椅子や装飾の施された丸テーブルが置かれており、紅茶の類いをこぼしたような跡も見られる。
 そして点々と続くその跡を目で追った先にあるのは、次の部屋へと繋がる扉だった。吹き込む風や波音を防ぐためだろうか、扉は大きく、若干厚めの木材で作られていた。
 ホロウたちはやたら滑らかに開く扉を抜けて真っ赤な絨毯の敷かれた廊下へと出た。屋敷の内部は橙色の暖かな明かりで包まれている。それは要所ごとに設置されたランタンの光だった。
「なんてことだッ!!」
 二人が吹き抜けとなった玄関にまでたどり着いたときのことだった。
 その怒号は屋敷の空気を震わせた。
 ビクッとして跳ね上がってしまったホロウは、ゆっくりと手すりから顔を出し、吹き抜けの真下、一階の玄関前を覗き込んだ。
 すると案の定、モノポーン男爵が両拳を握りしめながら癇癪を起こしている。
「噂の怪物がリヴァイアサンだと!! どうしてここがわかったんだ!?」
「はあ、そりゃやっぱり親子の絆ってやつじゃ……」
 使用人らしき者たちが顔を見合わせながら困ったように答える。
「ぬわぁあにが絆だ馬鹿馬鹿しい! そんなもんで見つかるなら人さらいなんて起きんわッ!!」
 モノポーンの罵声は更に続く。
「まさか、あの場所に気づきはせんだろうな……おい! 我が輩はあれの様子を見てくる。その間、誰も屋敷に通すんじゃないぞ!?」
 彼はそのように捲し立てると、護衛の大男を一人連れて奥の方の部屋へと消えて行ってしまった。
 その後、使用人たちは大きくため息をつき、それぞれの仕事へと戻って行く。
 多分、モノポーンの後を追わなければならないのだろうが、途中で下の階にいる使用人たちと鉢合わせてしまわないだろうか。かと言って、注意深く進んでいたらモノポーンを見失ってしまうだろうし……。
「よいしょっと」
「きゃっ!?」
 まただった。
 カジキは急にホロウの体を抱きかかえると、手すりに足をかけ……信じられないことに、三階から一階まで飛び降りたのだった。
 ホロウはもの凄い速さで近づいてくる床に悲鳴を飲み込むので精一杯だ。
 まばたき程の時間の後、カジキは猫のように音もなく着地した。
 ホロウは彼の腕から離れると、自分が怪我をしていないか心配になって体のあちこちを見回す。
 駄目だ。この少年と一緒にいると命がいくらあっても足りない。
「行くぜ」
 そんなホロウの気持ちを知ってか知らずか、カジキは相変わらず自由気ままな振る舞いでモノポーンの姿を追い始めるのだった。
 絨毯の道を通ってモノポーンをつける。
 しかしたどり着いたのは真っ白い壁が立ちふさがる廊下の突き当たりだった。
 扉や窓の類は見当たらない。
 こんな場所までやって来て、彼は何をしようというのだろうか。
 ホロウがモノポーンの行動に疑問を抱いていると、不意に彼は左手の一際大きな指輪を突き出した。赤い宝石が埋め込まれた指輪だ。彼がその宝石を壁の隅にあった小さなくぼみに差し込むと、途端、歯車が回るような音とともに白い壁がゴゴゴゴゴと下がっていった。
 隠し扉だ。
 壁が消えた後、その先に現れたのは地下へと続く石の階段だった。
 モノポーンたちの後ろ姿が暗闇に飲み込まれたのを見計らい、ホロウは階段の前に立つ。
 ひんやりとした空気が階下から伝わって来ていた。
「さあて、どこへ繋がっているやら」
 カジキは緊張感というものが欠如しているらしく、常に余裕に溢れた笑みを口の端と左目に映していた。右目は……相変わらず帽子のツバで隠れていて見えない。
「きっと海の近くに繋がっているわ」
 湿った岩壁に右手を這わせながら階段を下るホロウが何となく思ったことを口にする。
「ん、なんて?」
「だって、この湿気塩っぽいもの」
 ディーミアの近くには天然の洞窟がいくつか存在し、それらは皆、ここのように塩っぽい湿気に包まれていた。だからホロウはここもそうした洞窟を利用して作った道なのだろうと考えたのだ。
「……へえ」
 カジキは例によって何か思うところがあるような、あるいはまったく興味がないかのような相槌を打っていた。
 階段を下り終え、松明の灯火が照らす岩肌の一本道を進んで行く。
 果たしてホロウの予感は当たっていたようだ。
 ここはどうやら天然の洞窟らしく、足下にはわずかばかりの海水が溜まっており、岩肌には苔だか藻だかが付着している。
――まさかコイツが呼んでいるわけじゃあるまいなあ!
 不意に遠くからモノポーンの声が聞こえてきた。
 彼の姿はまだ見えないが、どうやらこの先にある横穴の向こう側にいるらしかった。ずいぶんと人工的な開き方をしている。ひょっとしたら、モノポーンが手下に掘らせたのかもしれない。
 ホロウは壁に背をつけるようにして息を潜ませると、角から頭を出して横穴の中を覗き込んだ。
 そして、ハッと息をのむ。
 青い鱗の生物が壁に張り付けられていたのだ。
 頭から尻尾の先までは5メートルほどだろうか。しかし大きさに反して体長のほとんどは尻尾が占めており、頭から腰骨のような場所までは1メートルほどしかない。頭の大きさに対して目が大きく、その生物がまだ子供であることを如実に物語っていた。
「……」
 何か……生き物が鳴き声をあげた。
 それは苦痛をこらえる悲鳴にも似た鳴き声だった。
 それもそのはずだ。
 生き物の両腕からはダラダラと血が流れていた。珊瑚礁(さんごしょう)のように美しい鱗がはぎ取られ、その下の肉が見えていたのだ。
「あのクルクル眉毛、どうやらあれで一儲けしていやがったな」
「……え?」
 カジキがボソリとこぼした言葉に、ホロウは眉をひそめて顔を上げた。
「リヴァイアサンってのはいわゆるドラゴンって奴だ。その鱗は羽のように軽く、強度は鋼鉄よりも硬い。強力な鎧や武器の材料になるから、竜の鱗ってやつは高値で売れるんだよ」
「そんな……」
 ホロウは今一度、謎の生き物の幼体を見やった。
 あれがリヴァイアサンの子供?
 確かに、その姿はあの日見た巨大な怪物を縮めたもののように見えた。
 ということは、モノポーンの金回りが良くなったのはこの子供をどこからかさらって来たからで、父を殺したあの怪物は、自分の子供を取り戻すためにここまで追いかけて来た……ということなのだろうか。
 ホロウは自分の心中に強烈なわだかまりが生まれるのを感じていた。
 あの怪物……リヴァイアサンは憎むべき父の敵だった。
 例え自分の命を投げ打ってでも殺してやりたいとずっと思っていた。
 でも、あの怪物は自分の子供を救おうとしていただけだった?
 そこに自分が……父親の名を更に押し上げたいと願う汚らわしい欲望に負けた自分が赴いてしまったから、巻き込まれただけ?
 だとしたら、父親を本当に殺したのは……、
「……あたし」
「……」
 ホロウがうなされるようにこぼした声に、カジキは何も言わず押し黙っていた。
「よおオッサン!」
 突然、何を思ったのかカジキが声を上げた。
 ホロウはギョッと目を見張る。
 彼はあたかも道ばたで偶然会った友人に声を掛けるかのように、片手を軽く上げながらモノポーンの前に出て行ったのである。
「ぬあっ!? ぬ、ぬわああんで貴様がここにいいい!!?」
 だが、彼女以上に驚愕していたのはモノポーンの方だった。彼は顎が外れそうなほど大口を開けると、そのまま腰を抜かしてひっくり返ってしまう。
「大将!? このお子様め!!」
 モノポーンを気遣った大男だが、すぐにカジキへと迎い直る。
「おいおい、待ってよ。何もあんたらにケンカ売りにきたわけじゃないんだ。欲望のために手段を選ばないってスタンス、俺は好きだけどなあ」
 え……。
 ホロウは岩陰に隠れたまま、自分の耳を疑った。
 今、彼は何と言ったんだ?
「……ほう、続けたまえ」
 神妙そうな顔つきを見せたモノポーンは、途端に冷静さを取り戻して立ち上がる。
「いやさ、オッサンはこのチビで金儲けをしたいんだろ? 俺はどっちかっていうとこいつの親に用があってね。チビを目指して親のリヴァイアサンが来てるってのは間違いなさそうだし……俺たち良いパートナーになれると思うなあ」
「大将、こんなこと言ってやすが、まさか信じるつもりじゃないですよね?」
 大男は一度痛い目に遭っているからか、カジキへの警戒も強固だった。
「ムッフッフ、確かに口だけならなんとでも……」
 対してモノポーンは先ほどまでとは打って変わり、カジキを根踏みするような目で見ていた。事態が好転しているとでも思っているのだろうか。
「そう言うだろうと思ってさ、手みやげを持って来たんだ」
「良い心がけだ」
「そこの影にライト家の娘が隠れてる。ホロウって女だ。町で騒がれると面倒だろ?」
「!?」
 隠れて話を聞いていたホロウは、カジキが自分を裏切ったことに激しく動揺し、愕然として固まった。
「確かめろ」
 モノポーンに命じられた大男がすぐに岩陰を回り込んできた。
 ホロウを見つけた男は一瞬目を丸くした後、しかしすぐに気味の悪い笑みを浮かべ、彼女の腕をつかみ、引っ張る。
「いやしたぜ!」
 岩陰から引きづり出されたホロウは、そのまま地面へと放られる。
「あんた最低ねッ!!」
 ホロウは顔色一つ変えることのないカジキに対して罵声を浴びせた。
 少しでも良い人間だと思ってしまった自分が腹立たしい。
「おいおい、別に俺たちはお友達じゃないんだ。赤の他人さ」
 やれやれとカジキは肩を竦めてみせた。
「お礼だってしたでしょ!?」
「『お礼』なんてする必要なないって言わなかった? 『助けた』わけじゃないんだからさ」
 皮肉げに微笑し、カジキは改めてモノポーンを振り返る。
「……ってわけ。利用できるのは全部利用していくタイプなんだよね。俺ってさあ」
「う、う〜む……なんだか少し気の毒になってきたが…………しかし気に入った!」
 さすがのモノポーンもカジキのあまりにも徹底した寝返りっぷりに舌を巻いていたが、彼に利用価値があることを悟ると、いとも容易く共同関係を承諾してしまった。この扱いやすさも、モノポーンの間抜けな部分の一つである。
 大男はホロウをリヴァイアサンの子供の隣まで歩かせると、岩壁に埋め込まれている金属の棒と彼女の両腕を紐で括り付けた。
「くたばれ! 地獄に堕ちろ!!」
 ホロウはなおも強くカジキを罵ったが、彼は左耳から右耳へと聞き流しているようだ。
「さあて、オッサンはあのデカ物が邪魔なんだっけ?」
「オッサンではない! 我が輩のことはモノポーン男爵と呼べい」
「OKオッサン。で、リヴァイアサンなんだけど、俺が退治してやるよ」
「退治ぃ〜? お前が一人で? その辺の奴より腕は立つようであるが、あれの親がどれだけ馬鹿でかいか、わかっとるのかぁ??」
「まあね。成体で30〜40メートル、頭部は乳白色の外骨格で覆われていて、強靭な両腕と爪がある。鱗は文字通りの鉄壁。倒すには速射砲が必要」
「お、おお……よ、よく知っておるではないか。も、もちろん我が輩も知っておったがな!」
 モノポーンの主張は明らかに嘘だったが……それはさて置き、カジキの説明は実に奇妙なものだった。
 知りすぎている……。
 リヴァイアサンについては生態のほとんどが謎に包まれているはずだ。正確な体長だってわかってはいない。少なくとも漁師の間で、リヴァイアサンに関する研究が成功した……という噂は流れてはいなかった。
 それなのに、彼はいったいどこでそのような情報を手に入れたのだろうか。
「でも俺にはルアーブレードがあるからね。ああいったバカデカイ怪獣を倒すための武器さ」
 そのルアーブレードだが、ここに忍び込む際に屋敷の外へ置いて来ていた。あの大きさと重さを考えれば仕方のないことだったが。
「本当かあ? 本当にそれで倒せるんだろうなぁ?」
 その疑念に満ち満ちた問いかけに口で答える代わりに、カジキは自身に満ちた顔つきで返事とした。
「ふ〜む……して、どうする?」
「まずは奴さんをおびき出す」
「だーから、どうやって!?」
「こうするんだよ」
 カジキは腰につり下げていた二本の短剣の内、一本だけを引き抜くと、それを器用にクルクルと指先で回転させながら―― リヴァイアサンの子供の腕を突き刺した。
「ギイイイイイイイイイイアアアアアアアアアアクァクァクァクァッ!!!」
 リヴァイアサンの口が大きく開き、悲鳴が洞窟中を揺さぶった。
 鋭利な刃物を叩き付けられた鱗のない箇所からは、激しい血しぶきがあがり、黒い岩を赤く染める。
「ひいいいいいっ!?」
「ぎゃああああああっ!?」
 モノポーンと手下の大男は互いに飛び上がり、恐怖に震え上がった。
「やめてッ!!」
 そんな中、ホロウだけはカジキをにらみ上げる。
「なんでこんな酷いことができるの!? この子が何をしたって言うのよ!!」
 そのように問うと、しかしカジキはむしろ左目を不思議そうにしばたいていた。
「なんでって……こいつは親父さんの敵の子供だぜ?」
 どうなろうが知ったことじゃないだろ、と彼は平然と言って退けた。
「そ、それは……」
 感情の矛盾が水面の波紋のように広がっていた。
 父を殺したリヴァイアサンは憎い。
 でも、それがこの子竜を守るための行動だったのであれば、いったいどうしてそれを責めることが出来るだろうか。
 そうだ。
 悪いのはリヴァイアサンではない。
 興味本位で近づいた自分の方なのだ……と、ホロウは考えた。
 自責の念と後悔に駆られるホロウだったが、その刹那、深く重い慟哭が岩肌を揺さぶった。
 まるで建物が崩落したかのようなもの凄い震動だった。
「お出でなさったな」
 カジキは楽しげに口笛を鳴らす。
 子供の悲鳴が、親を呼び寄せたのだ。
「この先はどこへ続いているんだい?」
「左は崖の真下、右に行けば灯台から出られる」
「じゃあ灯台だな」
 カジキが走り出すと、モノポーンたちも慌てて彼の背中を追いかけていった。
 後に残されたホロウは、揺らめく松明の明かりが作り出す陰影を呆然とみつめたまま、何をするでもなく沈黙を保つしかなかった。
「クウウウウゥゥゥ……」
 リヴァイアサンが弱々しい鳴き声をあげる。
 ホロウは胸の奥がジンと痛むのを感じていた。
 本当に、この子には何の罪もないんだ。
「……あっ」
 と、声を上げる。
 リヴァイアサンの左腕には、未だにカジキの短剣が突き立てられていた。
「……」
 これを使えば、ロープを切ることが出来るかもしれない。
 ホロウはリヴァイアサンの様子をジッと観察する。
 腕を縛られているため、短剣を抜くためには足で蹴り飛ばす以外に方法がなかった。
 抜く時に暴れるだろうか。
「……よし」
 一瞬の逡巡の後に決意を固めたホロウは、棒に括り付けられている手首を支点にして腰を浮かせると、反動をつけて一気に爪先を振り上げた。
 ブーツの先が短剣の柄――滑り止めに布が巻かれた持ち手――に当たる。
 その瞬間だった。
(……ん?)
 妙な手応えをホロウは爪先に感じていた。
 いや、逆だ。まったくと言っていいほど手応えを感じなかった。あれほど深く突き立てられていたように思えた短剣は、しかし意外なほどあっさりと宙を舞った。
 リヴァイアサンも、剣が抜けたことに気がついていないようだ。
 カランッ、と音を立てて重厚な色味の短剣が岩肌を転がる。
 ホロウはギリギリまで足を伸ばし、何とかかんとかそれを引き寄せることに成功した。
 後はしゃがんで引き寄せた短剣を口で咥え、ロープを切断するだけだ。
 咥えた短剣で手首の紐を切ろうとしていると、その最中、再び洞窟内が激しく震動した。雷でも落ちたのではないのかと思うほどの衝撃だった。
 パラパラと石の破片が天上から降り注いでいる。
 いつまでもここにいると危ないかもしれない。
「じっとしててね」
 縄を切ったホロウは、すぐ近くのフックにかけられていた鍵を手に入れ、リヴァイアサンの体を縛る拘束具を一つ一つ外していく。
 右腕、左腕、最後に胴体だ。
 体を縛る物がなくなったことで、リヴァイアサンは力なく地面へと倒れてしまう。
「大丈夫? 痛いだろうけどがんばって!」
 言葉など通じるはずがないとわかっている。
 それでも声をかけずにはいられなかった。
 不思議なことに、この子供もホロウが自分を傷つける敵ではないと理解しているようで、その鋭い牙や爪が彼女に向けられることはなかった。
 ホロウはリヴァイアサンの背中をさすりながら、ゆっくりと彼を前へと這わせて行く。恐らくは親の待っているだろう岩壁に向かって。