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〜休息〜

 

 ホロウを助けてくれた少年は、その名をカジキと名乗った。
 不思議な響きのする名前だった。外国の人なのかと訊ねると、案の定彼は「そうだ」と肯定した。世界中を旅して回っているのだとか。
 ホロウはちゃんとしたお礼がしたいと申し出た。
 しかし彼としては別にホロウを助けたつもりはなかったらしく「お礼なんていらない」とのことだ。
「ただ、もしどうしてもってなら飯くらい食わせてよ」
 彼がその言葉を発したのは、彼のお腹が小さく悲鳴を発した直後のことだった。
 久しく人と接していなかったホロウはそれだけでも少し嬉しく、少年を港にある自分の家へと招待した。多分、歳が近そうだったことも気を許すことができた一つの要因だったのかもしれない。
 ホロウの家は白い外壁の一般的な平屋だった。ディーミアを始めとして、この国の民家は白一色で統一されていることが多い。ここの緯度が低く、一年を通して温暖なため、少しでも太陽の光を跳ね返すために漆喰が外壁に塗布されるためだった。
「適当にくつろいで」
 ホロウはカジキを招き入れると、網を持って家の中にある生け簀から大きな魚を一匹すくい上げた。
「なんだこれ。家の中で魚を飼ってんのか?」
 カジキは生け簀の前でしゃがみ込み、泳ぐ魚たちを物珍しそうに見つめていた。
「そうよ。いつでも食べられるように」
 他の町ではどうか知らなかったが、ディーミアの港ではこれが普通のことだった。
「あなたの住んでいたところはどうしてたの? 食材って」
 ここでの主食は言わずもがな魚だ。トウモロコシをこねて作ったパンなどもたまに入ってくるが、そういったものは週に一度の市場に行かなければ手に入れることができなかった。
「あー……どうしてたかな。なんせずいぶんと昔のことだからなー」
 カジキはそのようにつぶやきながら背負っていた剣を外し、空いているスペースの壁に立てかけた。
 ホロウはというと、さっそく今しがた生け簀から取って来た魚を調理台の上に置き、包丁で頭を切り離した。
 魚は胴体を切り離されてなおビチビチと動き回っている。それを上から押さえつけ、包丁を通して体を真っ二つに分けていった。
「へえ!」
 と、椅子に腰をかけていたカジキが感嘆の声を上げた。
「なかなか器用じゃんか」
「別に普通よ。漁師の娘だもの」
 この町で漁師を親に持った子供は竿や銛を手にするよりもまず、包丁の持ち方から覚える。そして生きた魚のさばき方を習得し、暴れる魚をどのように制したら良いのかを体で体得するのだ。
「それに、あなたの方こそすごいわ」
「何が?」
「その剣、どうなってるの?」
 ホロウは魚の切り身を油を引いた金網に乗せると、背後を振り返って立てかけられている巨大な剣を見やった。
 剣と呼ぶよりも柱のようなそれは、金属のパーツ類でやたらゴテゴテとした柄と、馬でも真っ二つにできてしまいそうな長い刃で出来ている。何かしらの仕掛けがありそうなことはわかるのだが……。
「ああ、ルアーブレード?」
「るあーぶれーど? ルアーって、疑似餌のこと? 釣りするときの?」
「らしいね。それが由来だってさ。ルアーみたいに投げて使うんだよ。ちょうどこのブレードの部分が分離するんだ」
 カジキが言うには、これを使えば巨大な獣を狩る時でも、相手に近づかなくて良いので有利に戦えるのだという。
 ちょっと想像がつかなかった。実際に使ってるところを見ればまた違うのだろうが……。
「まあでも、いつでも使えるもんじゃないさ。小さかったり、動きの速い奴には当たんないし」
 そうため息がちに言うと、彼は腰に下げていた二本の短剣を少しだけ引き抜いて見せた。
「カリュードなの?」
 害獣(モンスター)退治を生業とする人々のことをカリュードという。害獣というのは人の生活圏を脅かす生き物のことで、国や自治体ごとに害獣指定をうけている野生動物のことを指す。カリュードたちはこうした害獣を駆除することで自治体や国、あるいは所属するギルドから報酬を受け取っていた。もっとも、人を守るといえば聞こえはいいが、その実態はまともな職に就くことのできない荒くれ者たちの集まりだ。
「まあね。路銀を稼ぐためさ」
 彼はさっきのルアーブレードや普通の剣の他にも様々な武器が使えると言っていた。
 そんなことを話しているうちに、釜戸にかけた魚が焼き上がった。
 ホロウは掻敷(かいしき)と呼ばれる葉っぱを敷いた木の皿の上に、ホクホクと湯気をたてる白身の焼き魚をよそる。後はその上に味付けとしてレモンのしぼり汁をかければ完成だ。
「はい、召し上がれ」
「サンキュー」
 テーブルに食事を運ぶと、首を長くして待っていたカジキはフォークとナイフを手にしてそれを切り分けた。
 新鮮な魚の脂がしたたる切り身をフォークで口へと運ぶ。
「んまい! こんな美味い飯食ったの二ヶ月ぶりだ!」
 そのように舌鼓を打ちながら、カジキは次々と魚の身を咀嚼してはのどに流し込んでいく。その様子が本当に美味しそうだったので、ホロウもなんだか嬉しくなってしまい、クスクスと笑ってしまった。
「そうなの? 船旅でしょ?」
 魚なんて食べ飽きてしまいそうなものだが。
「あまいあまい、貿易船なんて魚釣らないよ。干し肉とか乾パン詰め込んで、あとはひたすらワインとビールで飲んだくれるのさ。肉も最初のころはいいんだけどさ、終盤はカビてくるんだよね。これがまずいのなんのって……」
 カジキは船の中の過酷な食事事情を思い出してしまったのか、げんなりした表情で遠くを見つめてしまっていた。
「……ところでさ」
 あらかた食事が片付いたころ、カジキが含みを持った声で訊ねてきた。
「リヴァイアサンがどうのって聞こえたんだけど」
 どうやら彼は先ほどのモノポーンとの会話のことを言っているらしかった。
「……」
 ホロウはカジキに父親のこと、あの日見た怪物のこと、そしてその件にモノポーン男爵が関わっているかもしれないということを話した。どうして会ったばかりの人間にここまで話してしまったのかは……わからない。ただ、このカジキという少年はどこか飄々としており、込み入った話を聞かされても嫌がらなそうな雰囲気を持っていた。
 そして彼女が想像した通り、カジキはホロウの父親が亡くなったことに触れることはなかった。
「あの太っちょのオッサン……田舎貴族の割にはずいぶんと良い服着てたな」
「ちょっと前まであれほどじゃなかったけどね」
「……っていうと?」
「ここ半年くらい前からよ。あんな宝石みたいな服でうろつくようになったのは」
 ホロウが覚えているだけでも昨年の夏まではもう少し質素な身なりをしていたはずだ。
 腹の段差ももう一つ少なかった気がする。
 ディーミアの人間は皆不思議がり、様々な憶測を飛びかわせたが、どれも確証のあるものではなかった。
「……ごっそうさん!ありがとなー」
 カジキは不意に椅子を立つと、大きな剣を背負い直して家を出て行こうとした。
「船に戻るの?」
 ホロウは不思議に思って訪ねた。
 あの貿易船の出向は明後日のはずだ。それとも彼は自身の部屋が割り当てられているのだろうか。貿易船に便乗して海を超えるというのは、金のない旅人の間では半ば当然の手段となっているようだったが、そういった者たちは航海の間、廊下に布切れを敷いて寝るのが一般的だった。多くの船には余分な人員に当てられるスペースはないのだから。
「いや、ちょいと成金のオッサンと話してみたくてさ」
「モノポーンの屋敷に行くの!?」
 ホロウは口を大にして驚いた。
「まあね」
 彼はコクリと頷いた。
「あたしも行くわ。今度こそ問い詰めてやるんだから」
 彼がどうしてモノポーンの下を訪れようとしているのかはわからなかった。しかし、その強さは相当なものだ。先のやり取りの後ではモノポーンも下手な手は打って出られないだろうし、彼について行けば上手いことモノポーンの企てを暴けるかもわからないだろう。
 ホロウは調理場から小瓶を一つ取ると、それをポケットに忍ばせた。
「何それ?」
「眠り薬。いざってときのための即効薬」
「そんなの必要ないと思うけどね」
 カジキは呆れるようにそう言ったが、自分の身くらいある程度は自衛したいものだ。
 こうしてホロウは半ば無理矢理カジキに同行することにしたのだった。