〜巨大な剣を持つ少年〜

 

 港町ディーミアは人口500人くらいの中規模な町だった。しかし多くの港から船が出入りするため、多い時にはその数が倍にまで膨れ上がり、町の中心にある市場はさながら大きなお祭りのように盛り上がることも珍しくはない。特に、大きな貿易船が停泊するようなことがあると、町は異国の不思議な食べ物や見たこともない動物の話題で持ち切りになった。
 今まさに、ディーミアにはそんな貿易船が泊まっていた。隣の大陸に出かけていた返りらしく、彼らが持ち帰った様々な物品や文化に街中の人間が浮き足立っている。
 誰もが目を輝かせ、街中で飲めや歌えのどんちゃん騒ぎが起こっていた。
 異国の楽器弾きが弦を弾き、それに合わせて皆で食器を打ち鳴らして食事を楽しむのだ。中には出店先に用意された巨大なテーブルの上に乗り上がって踊りだす者までいた。
 飲みかわされるのは葡萄酒、あるいは林檎や様々な果物で造られた果実酒だ。酒に強い者は蒸留酒を呷っている。
 これほどのお祭り騒ぎの中に一人、ホロウは店先の柱に背中を預けながら顔を伏せていた。
 あの怪物に父が殺された日から七日が過ぎていた。
 ホロウは何度も町の自警団に怪物のことを話したが、彼らは『この辺りにそれほど巨大な害獣(モンスター)は生息しない』として一向に相手にしてはくれなかった。
 きっと彼らも怖いのだ。ホロウは自警団の情けない姿を蔑みたかったが、それ以上に自分自身のことが許せず、結局はそれ以上何も言えずに口を噤んでしまった。
 もしもあの怪物がこの町に現れたら……自警団はどうするのだろうか。
 ホロウは詰め所に立てかけられていた長弓を思い返したが、あんなものがあの巨体に通じるとはとても思えなかった。直径2センチの矢尻は、確かに人間を殺せるだけの力を持っている。しかし、それ一本では森で寝ぼけている熊に挑むことさえ自殺行為だった。熊の頭蓋は硬く、並大抵の矢は貫通することができないし、なおかつ彼らは時速40キロメートル以上で走るからだ。
 あの怪物は海面から突き出た頭頂部まででも五メートルはあった。一番下まで含めれば何十メートルになるのだろうか。そしてそんな巨獣に対して弓矢が意味をなすとはとてもではないが考えられない。ひょっとしたら、鱗一枚さえも剥がせないのではないのか?
 あれを倒そうと思ったらきっと大砲が必要だ。そして大砲なんてものを持っているのは軍隊だけだろう。
 軍隊……あるいはここの領主だったら海軍を動かせるかもしれない。
「……」
 いや、やはり駄目だ。
 ここの領主はろくな男ではなかった。
 彼はいわゆる地方の貧乏領主というやつだったのだが、どういうわけかこのところ羽振りが良くなり、贅沢三昧をしては領地の人民をいたぶっていた。
 軍隊を呼べば領地の資源を使うことになる。ケチで有名な男がいるかどうかもわからない怪物のために自身の取り分を削るとは思えなかった。
「いやあっ、もりあがってますね大将!」
 隣り合った建物を繋ぐアーチ状の渡り通路の下から、筋肉隆々の二メートル近い大男が現れる。彼は市場の賑わいを一望した後、後ろを振り返りながら快笑していた。
「ムッフッフッフッフ、貿易船とは渡りに船。我が輩の幸運を後押しするかのような好景気だわい」
 続いて現れたのは、やたらと色使いの激しい服を纏った中年の男だった。腹はゆるめの生地の上からでもわかる三段腹で、ずんぐりむっくりとした体型だ。更に特徴的なことに、眉毛と鼻の下のヒゲが見事なまでにカールしていた。
 その男を見ると、ホロウは眉をしかめた。
 噂をすれば影とはまさしくこのことだ。
 恥ずかしげもなく肥えきった腹を震わせながら歩いているその男こそ、この土地の領主であるダーデッド・モノポーンだった。
 モノポーン男爵の住居は町の高台を上った先にある。ここへは貿易船の様子を窺いに来たのだろう。
 ホロウはモノポーンに気づかれる前にその場から姿を消そうとした。
 ホロウの家とモノポーンはあまり仲が良くない。半ば港の代表だったホロウの父親は、モノポーンの行き過ぎた統治に異を唱えていたからだ。
 例えばこんなことがあった。
 一時期、モノポーンは漁で得た収穫の半分を税として差し出すようにと「おふれ」を出した。なんでもモノポーンは氷冷式の大型貯蔵庫を手に入れたらしく、新鮮な水産物を内陸の町に高値で売ろうと企んでいたらしい。
 もちろん、それによって得た収入が漁師に還元されることはない。
 これに怒ったホロウの父親は、組合員と団結してモノポーンの屋敷に乗り込んだのだ。「おふれ」を撤回するまで自分たちが引くことはない、と。
 このようなことがいくつもあり、ライト家はモノポーンから目の敵にされていた。そしてそれは当然、ホロウ自身も含まれている。
「んんっ、そこにいるのはひょっとしてグロウ・ライトの娘ではないのかなぁ〜?」
 しかしモノポーン男爵は目ざとくホロウの姿を見つけると、嫌みな笑みを顔中に浮かべた。
「うーむ、名はなんといったか……そうだ! ホロウ! ホロウ・ライトだったなぁ!」
 彼はわざとらしい合点を打つと、太い指にはめた指輪を見せびらかすようにして近づいてくる。
 ホロウは面倒な奴に会ってしまったと思い、それを隠すことなく表情で示した。
 モノポーンは「父親のことは残念だった」と話を切り出してきたが、その表情は微塵も哀愁を帯びてはいなかった。むしろ嬉々として今にも踊りだしそうな顔色だ。
 ふざけるな。
 そう言ってやりたかったが、その荒々しい感情は一瞬にして深く沈み込む。もともと、自分が父を誘わなければあのようなことにはならなかった。父が死んだのは他の誰でもない、自分自身の責任なのだ。
 するとモノポーンの顔はますますしたりげとなる。
 ホロウが何も言い返してこないのを良いことに。
「怪物に殺されたんだったかなぁ? ドラゴンでも見たのかな? それとも大蛸(クラーケン)?」
 どちらも人々から恐れられている怪物の名前だった。
「ドラゴン……そうだ」
 ふと、ホロウは自分の頭の中であやふやな二つの線が一本に結びつくような感覚を得た。
 ドラゴンは鋼のような鱗を全身に持つ巨大なトカゲだという話をおとぎ話の中で聞いたことがある。その姿は、あの日見た巨大な影と符合するのではないだろうか。
「ドラゴンよ。あれはドラゴンだったわ!」
 ホロウがキッとして声を張り上げると、しかしそれを聞いたモノポーンは一瞬だけ呆けたような顔をし、次いで大口を開いて笑い出した。
「ぐわっはっはっはっは! バカめ! ドラゴンは空を飛ぶもんだ。海をスイスイ泳いでいるわけではない。これだから無知無学な輩は――」
「た、大将っ」
「なんだ人が話している最中に!」
「それリヴァイアサンじゃないですか? あいつの親じゃ!?」
「ッ……!!?」
 血相を変えた大男に呼び止められたモノポーンは、しかし彼の言ったことに言葉を詰まらせていた。まるで魚の小骨がのどに刺さったかのような表情だ。
「……リヴァイアサン?」
 その名前はホロウも聞いたことがあった。いや、彼女だけではない。こういった港町に住む全ての人間は、すべからくこの名を知っていることだろう。
 それは大陸と大陸を隔てる海の真ん中――あらゆる海流の交わる場所に住まうという巨大な怪物の名だった。全ての船乗りが恐怖するこの海の主の正体は、その名の有名さと打って変わって目撃証言が少ない。
 ホロウは鋭い目つきで狼狽えるモノポーンをにらんだ。
「あんた、また何か隠してるでしょ!?」
 モノポーンの悪巧みは今に始まったことではない。
 ひょっとしたら、あの怪物のこともこの男が関係しているのかもしれなかった。
「し、知らん! おい、引き上げるぞ!」
 モノポーンは頬を引き攣らせると、大男に命じてその場をそそくさと去ろうとする。
「まちなさいよ!」
 しかし、ホロウは彼らの前に回り込むと、両手を大きく開いて道を塞いだ。
「話さないなら、港のみんなにこのことを言うわ! そうしたらあんたの家に踏み込んで調べてやるんだから!」
 町の人間だったモノポーンの悪癖には辟易している。もしもこの男が噛んでいるととわかれば黙ってはいないはずだ。ホロウはそのように考えていた。
 ノシッ……と、石畳が押しつぶされて動いた。
 あの大男がホロウの目の前に進み出て来たのだ。
 岩のような手が開き、ホロウの細い手首を捕まえた。
「痛いっ」
 彼女は短く悲鳴をあげたが、町の喧騒はそれを簡単に包み込んでしまう。
「げへへへっ、どうしやす大将?」
「ふむ、今騒がれても面倒だな。まあ、親兄弟のいない娘が一人消えたところで、騒ぐ奴はいなかろう」
 モノポーンが算段を立てるように言うと、大男はニヤニヤと笑った。
「そう言ってくれると思いやしたぜ。いやあ、細っこくて折りがいのある体だなあ!」
「骨を砕いて樽に詰めておけ。明朝に沈めれば問題なしだ」
 なんの躊躇いもなく人を殺す指示をだしたこの男に対して、ホロウは強い嫌悪感と驚きを隠しきれなかった。嫌な奴だとは思っていたが、まさかここまで狂っているとは思いもしなかったからだ。
 大男の右手がホロウの手首を、左手が二の腕をつかんだ。
「まずは肘からいくとするかあ。ここは神経が詰まってるから痛いぞ〜」
「ちょっと、う、嘘でしょ。離してッ!」
 徐々に大男の腕の筋肉が盛り上がっていく。
 鈍い痛みがホロウの左腕を走り始めていた。
 ホロウは必死に抵抗を試みたが、叩けど蹴れど男は眉一つ動かさない。少女――それもまだ生まれてから14年しか経っていない子供の殴打など、身長二メートル近い大男にとっては蚊に刺されたようなものなのだろう。
 メキメキと、骨が嫌な音を発していた。
 腕を折られてしまう。
 その恐怖と絶望で脚がガクガクとふらついた。
 反撃などできない。
 非力な自分では剣でも持っていない限りどうしようもできなかった。
 剣――その剣が、鞘に入ったままホロウの目の前をかすめていった。
「げふうッ!!?」
 どこからか出現した鞘に収まった剣が大男の胸部に直撃し、彼はたまらずにもんどりうって倒れた。同時に、解放されたホロウは痛む左手を庇いながら数歩後ろに下がる。
「お取り込み中に悪いね。小銭落としちゃってさあ! そこどいてくれる?」
 いったいいつからいたのだろうか。
 唐突に、この場に現れた黒い髪の少年はニヤリと口の端をつり上げながらそのように言った。
 ホロウはその少年の奇妙な身なり注意を奪われた。顔の右半分を隠すようにしてかぶったツバだけの帽子、腰辺りまで垂れ下がった長いマフラー、そして左腕と右足だけに到着されたベージュ色の鎧である。例の貿易船でやってきた人間なのだろうか。
 そこまで考え、ホロウはギョッとして目を見張った。
 次いで注意を促されたのは、その少年が手にしている剣――先ほど大男を吹っ飛ばした鞘入りの剣――だった。
 でかいのだ。
 とんでもなくデカイ。
 それはおよそ人の持つ武器とは思えない代物だった。
 柄から切っ先までの長さはあの大男の身長とほぼ同じであり、間違ってもホロウと対して歳の代わらなそうな少年――身長156センチ――が振るえるような物ではないはずだ。両腕で持つことはもちろん、支えることさえも並の人間では難しいだろう。それを、あろうことかこの少年は片手で軽々と持ち上げていた。
 この異常な光景に、モノポーンもまた唖然として息をのんでいる様子だ。しかし、彼はハッとして我を取り戻すと、何か思惑を抱えるように眉間にしわを寄せて、立ち上がった大男に目配せをしながら口を開いた。
「ほう、落としたのは命ではなく……?」
 それを合図として、大男が少年へと襲いかかった。
 巨大な拳を天高く振り上げ、少年の小さな体目がけて振り落とす。
 と、少年は持っていた巨大な剣を投げ捨て、鎧に覆われていない方の手で向かってくる大男の拳を受け止めたのだ。
 バチンッ! ともの凄い音がアーチの下にこだました。
 そのまま剣士同士のつばぜり合いのごとく、相対した両者の動きは止まってしまう。ただし、プルプルと筋肉を痙攣させているのは大男だけだった。少年は涼しい顔をしたまま、珍しい動物でも観察するかのような目で相手を見つめていた。
「おい、何やってんだ! 喧嘩か!?」
 そこに、ようやく異変を知った人々がやってきた。
「なになに?」
「喧嘩だってよ」
「ってか、あれモノポーンじゃねーか」
 言葉が言葉を呼び、次々と興味心に釣られた人々が集まってくる。
「……チッ、おい行くぞ!」
 このままだと始末が悪いと考えたのだろう。モノポーンは男を呼び戻すと、町の喧騒から逃げるようにして去って行ってしまった。
 終始呆然とするしかなかったホロウは、再び町の喧騒が戻ってくるのと同時に我に返った。
 少年は先ほど投げ捨てた巨大な剣をヒョイッと持ち上げ、自身の背中へと回している。
「あ、ありがとう……」
 まばらになって散って行く人々を見つめた後、ホロウは目の前の少年にお礼を言った。
「何が?」
「え?」
 しかし、少年は不思議そうに目をパチクリとさせた後、ホロウの目の前に落ちていた金貨を拾い上げた。
「…………え?」
「よかった。船賃をなくすところだったよ」
 どうやら、彼は本当にお金を拾うことが目的だったようだ。
 嬉しそうに金貨を握りしめる少年を見て、ホロウはますます目が点になってしまうのだった。

 

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